去る3月6日(土)にシカゴ総領事館にて第24回日本語弁論大会が開催されました。小学生から大学生の日本語を勉強する学生達が朝から独自のスピーチを披露しました。
大阪姉妹都市賞は準優秀賞であり航空券と3週間大阪でのホームステイが一人の学生に授与されます。今年の受賞者はシカゴ大学の学生ターニャ・ゾロタリョーヴァ氏です。
彼女の大会のスピーチをお楽しみください。
「曖昧な反逆感情」:アーティストとしての目覚め
ターニャ・ゾロタリョーヴァ
美術、音楽、文学のない世界―そのような世界は想像できますか。それは、皆さんにとって、どのような世界でしょうか。私は、アーティストとして、その世界では生きがいを見失うと思います。
高校で勉強に頑張っていた頃の私には、美術の世界は不思議なものに見えました。まだ、真剣に脚を踏みこんだことのない美術の世界は、論理、精確さを真骨頂とする数学や科学などの学問の世界の反対にあるように思われました。美術の世界は、自分を抑え切れないほど、飛び込んで見たい世界でした。美術は底の見えない深い湖のようで、それを考えるだけでも、心が爽やかになり、私の気持ちはそちらの方に引かれていました。
高校の美術の授業では、うまく行かないと、自分は美術の才能がないとがっかりしましたが、それでも、いつも美術に戻りました。美術は、好きで、あきらめられないという気持ちがある一方で、美術はただの趣味にするしかないという悲観的な気持ちになることも、度々、ありました。その頃をふりかえると、私は、美術に対する明と暗の絶え間ない闘争に振り回されていたという印象です。学業は頑張り続けましたが、将来については、深く考えず、自分の人生の道がわからない迷子のまま、歩き回っていました。大学のことを真剣に考える時期には、アーティストになる希望は、父の批判によって、また、実用主義の影響の下に、ぼやけてしまっていました。イラストレーター、漫画家などを尊敬していた私は、自分のスタイルや技量に対しても疑いや不満が募っていました。美術に対する自信も希望も、この頃は、どん底だったのだろうと思います。
その谷底から這い上がるキッカケが、学部の三、四年生のときに、訪れました。美術史の知識を広げ、他の画家を知るとともに、目標を見失っていた私は、自分のスタイルを磨くことでアーティストとして生きたいという希望が、前よりもずっと強く燃え上がるのを感じました。
しかし、自分のスタイルといっても、その時点まで、私は尊敬していた画家のスタイルに倣っていました。同時に、他の画家などの影響からすっかり逃げることはできないということに気がつきました。その頃、私の考えは大きく変わったのです。この常に変わる世界にいて、この社会の一部として、様々な影響を受けるのは自然で、むしろ、色々なところからインスピレーションを取り受けながら、自分のアーティストとしての精神を養わなければならないと考えるようになりました。
これからどのような絵が描きたいのかという問いには、まだ明らかな答えは出ないのですが、しかし、もう心の中に曖昧な沈黙は響き渡らないし、限りのない虚しい静寂はなくなりました。六月に卒業する私は、美術の本当の重要さ、深い意味をつかんだようです。たとえ、純粋な美術でなくても、美術館に納められる可能性がなくても、私の絵は、私の人生に無くてはならないもの、生きがいとして、私とあゆみ続けるでしょう。
私は、何のために絵を描くのでしょうか。自己表現?カタルシス?お金のためでないことは確かです。ただの趣味でもありません。我がままだと誤解されると困りますが、絵を描くのは、結局、自分のためです。しかし、自分を伝えるためでなくても、空しくなることはありません。なぜなら、私は現実的でも、抽象的でもない人物像を描くことを通して、自分の不安や儚みなどの気持ちを取り除きながら、自分の世界観が表現したいのです。優しさと残酷、美と醜悪、強さと弱さ、信念と疑い、命と死、そういうこの世の中の対比的な要素の共存、そして社会的な問題や人間としての存在の混沌などというテーマに取り組むことにしています。勿論、たまに特別な意味のないイラストを描くことも許します。
明らかな意味の記されていない私の絵は、見る人にどう受け取られてもいいのです。この私にとって、本当に重要なのは、前には、到底、無理だと思われていたこの道を歩き続けようという私の意思です。この道は、勿論、「何とかなるさ」という漠然とした言葉が最も優しい成功の保証なのです。
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